2018年7月12日木曜日

花咲くことはいのちの誕生だ

ニュースでご存知の方も多いと思いますが、2018423日に推しバク咲子が亡くなりました。
詳細はプレスリリースがあるのでご興味ある方はそこでご確認ください。
千葉市ではサコが正式名称なのですが当ブログでは咲子表記のままにさせていただきます。また死因等に関することにはここでは触れておらずあくまで個人的な雑記となっております。


42122日と同園で世界バクの日に関するWSを開催させて頂きました。
本当にたくさんの方に参加していただき、とても嬉しく、ありがたかったです。
9割以上は小学生以下のキッズだったのではないでしょうか?
バク様の未来は明るいなぁ!と本当にわくわくしました。
そんな中の訃報でしたので、喪失のショックがあまりに大きく、御礼が遅くなってしまい大変申し訳御座いませんでした。
レポートなどはまた後日改めて書かせてくださいませ。


20171212 咲子たん1日観察会にて(一人で開催)


初七日、四十九日、あっという間に過ぎた。
死後2ヶ月以上経っている。

もう大丈夫かなと思っても考え出すと泣けてくる。
それでも少しずつ大丈夫だと思える時間は確実に増えてきていると思う。
ただただ話を聞いてくれた(話 とも言えないような内容だったが)家族や古くからの友人の存在がとても大きくありがたかったなぁと心から思う。
もちろん心配してくださった関係者の方や、周りの皆様のおかげであるし、
お互い素性をよく知らないオタクの友人のおかげでもある。
何も事情を知らない人が側にいてただ楽しい時間を共有してくれたことに今回はとても救われた気がした。(余談だけど今ではアトリエに遊びにくる程の仲になった)


咲子に初めて出逢った日、彼女こそが私のミューズだと思った。

咲子の10年の歴史は私の10年間の人生そのものだったし
いつだって咲子のことを考えていた。
私の人生の中心には咲子がいた。
何をしている時も咲子の魅力を最大限に表現するための何か(それは素材や技法、表現方法そのものだったりする)を探していた気がする。
何があっても咲子がいたから毎日楽しかった。


情けない話ではあるけれどこの2ヶ月、ほとんど制作していない。
出来なかった。
こんな私の姿を見たらきっと咲子が悲しむなんて事は絶対にないけど
いつも彼女のファンとして恥ずかしくない人間でいたいと思っていたし
そうであるよう努力してきたつもりだ。
で、
今この状態で顔向け出来るか?
胸張って咲子のファンだなんて言える?
そう考えたら途端に恥ずかしくなってきた。
悲しいのは仕方ない。どうせこの先ずっと悲しさは消えて無くならない。
だからっていつまでもメソメソして何も出来ないのは嫌だ。

直接飼育や研究に携わっている訳ではない私が出来ることはあまり多くない。
でも私なりにバクのために、
もっと広い意味で野生生物や自然環境のために何か役に立てることがあると思う。
 それを考え、実行すること。
それが私の咲子の弔い方だ。


最後に咲子が生まれた時の多摩動物公園の記事を貼っておきます。
私は咲子の名前の漢字も由来も美しくてあたたかくてすきだったので月に1回はこのページを見て涙ぐんでいました・・・・。



咲子たん、私はこの先もずっとあなたのことが世界で一番好きだよ。
10年間本当にありがとう。